1988年1月31日、私はフィリピンの小さな島で生まれました。1才までフィリピンで過ごしたあと、父が住むハワイに引っ越しました。妹のジェシカが生まれるまでの4年間、一人っ子として育ちました。

私の人生でハワイで育ったことは最高の経験だと思っています。ほとんど毎週末、父とビーチに出かけたのを覚えています。マカハ、ナナクリ、ワイアナエのビーチで一日中釣りをしたり、泳いだり。

父方の親戚が皆ハワイに住んでいるので、たくさんのいとこや、叔父さん、叔母さん達と育ちました。いとこ達と自転車に乗ったり、ローラースケートをしたり、マナプアトラックでフライドサイミンを買ったり楽しい思い出がたくさんあります。

でも、私の子供時代は良いことばかりではありませんでした。両親は二人ともハワイへの移民で、英語を上手に話すことができませんでした。両親と同様に、私の母国語は英語ではありません。学校で私が英語を勉強するのと同時に、両親は私と一緒に英語を勉強しました。

宿題があれば、内容が良く分からない時でも私を助けようと常にベストを尽くしてくれました。

たまに、両親が英語を話せないため、私の学校の先生からの手紙や、私が手伝ってもらおうとした宿題が理解できなくてストレスを感じていることに恥ずかしいと感じることがありました。

この私の恥ずかしい気持ちと両親の英語がうまく話せないというストレスは「良い」英語を話す事がいかに大切かを私に気づかせてくれました。今でも両親は私にフィリピンのイロカノ語で話しますが、私は英語で答えます。

カポレイ高校を卒業した後、ハワイパシフィック大学(HPU)に進学しました。HPU在学時代、韓国のソウルに夏の間留学しました。そこで、韓国の文化、食べ物、都会ソウルでの生活が大好きになり、どうやったらまた韓国に行けるかを考えました。

色々と調べているうちに、その方法を見つけたのです!韓国で英語を教えるのです!!!でもひとつ問題が。当時の私は英語の教え方について全く知らなかったのです。

そこでHPUを国際関係論専攻で卒業した後、TESOL(英語教授法)を勉強するためにHPUの大学院に進む事にしました。HPUでは英語教授法について多くの事を学ぶことができ、韓国に行く前にこの経験ができて自分は本当に恵まれてると感じたものです。

語学学習や語学学習者について学ばなければ韓国でうまく教える事ができなかったと思います。子供の頃は英語が話せない両親の事を恥ずかしいと思いました。でも大人になって、それがいかに間違った考えであったかに気づきました。

誰にとっても外国語を学ぶ事は簡単ではないのです。

その言葉を話せないからといって恥ずかしいと感じるべきではないのです。私の両親のように、常にベストを尽くしている人が恥ずかしいと感じる必要は、全く無いのです。

私がハワイで育った事、英語を学習する両親を持った事、そして英語を教える方法を勉強した経験を踏まえ、職業に英語教師を選んだことは最高の選択だったと感じています。本当に!今、私は毎日英語を教えることを心から楽しんでいます。

セントラルパシフィックカレッジで、それぞれに違う目的を持ってハワイにやって来たすばらしい生徒達と出会えました。そして私自身が彼らから毎日新しい事を学び、それが私をより良い英語教師にしてくれます。

あなたも常にベストを尽くしてください。そして間違いを恐れないで、英語学習をエンジョイして下さいね!